大手電機メーカーから柔整師へ 大胆転身の理由 キョーブン塾人気講師インタビュー(下)
(画像=キョーブン塾の講師で東京柔道整復専門学校の教員・水野恵介さん )

「宇宙一分かりやすい授業」と塾生から評される柔道整復師の国試対策講座「キョーブン塾」の人気講師・水野恵介さん。前回のインタビュー「国試に合格する人と落ちる人の違いとは? 」でお聞きしたように、受験生の気持ちを理解しようと柔道整復師以外に20個以上の資格を持ち、今も試験を受け続ける熱血ぶりです。

そんな水野さんが柔道整復師の道を志したのは実は30代の半ばになってからでした。日本を代表する電機メーカーの社員だった水野さんが柔道整復師の国家試験を受験し、キョーブン塾の講師に就任するまでの道のりを聞きました。

目次

  1. 突然の病、電機メーカーを退職
  2. 「医療ってめちゃくちゃ面白い」
  3. 10歳以上離れた同級生からのエールに奮起
  4. 勉強好きの柔道整復師を増やすために

突然の病、電機メーカーを退職

――ここからは水野先生ご自身について伺いたいと思います。先生が柔道整復師を志したきっかけは何だったのでしょうか。

僕は最初から柔道整復師を目指していたわけではありません。大学卒業後、電機メーカーに就職し、中央官庁の営業担当として働いていました。

ところが30歳を目前にした頃に、機能性低血糖症という病気を患いました。ある日突然、ベッドから起き上がるのも辛いような状態に陥り、さまざまな病院を巡りましたが当時は原因も分かりませんでした。

休職を繰り返し、ついに32歳の時に会社を退職しました。その時、次に就職するなら健康に携わる仕事がしたいと漠然と思ったものです。健康を損なうだけでこれほど人生が不本意なものになると知った以上、もうこの問題と向き合うしかないという気持ちがありました。

とは言うものの、1〜2年は自宅の周りをリハビリでウォーキングする以外、何もできませんでした。具体的に動き出したのは34歳になってからです。昔から格闘技が大好きだった僕は、たまたまテレビで見た2008年北京五輪で、柔道日本勢の活躍ぶりに釘付けになりました。

病気が治ったわけでもないのに無性に柔道を習いたくなり、ネットで柔道教室を探し始めました。その時、後に母校となる東京柔道整復専門学校が検索結果に表示されたのです。

Googleマップで場所を調べたところ、リハビリでウォーキングしたことのある場所でした。健康に携わる仕事をしたいと思っていたこともあり、本当にたまたまなのですが、とりあえず学校見学に行ってみることにしたのです。すると、その学校見学の一環で行われていた模擬授業がとても面白く、一目惚れのような形で入学を決意しました。

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「医療ってめちゃくちゃ面白い」

大手電機メーカーから柔整師へ 大胆転身の理由 キョーブン塾人気講師インタビュー(下)

――先生を虜(とりこ)にさせた模擬授業とはどんな内容だったのですか。

ほとんど下ネタのような内容なのですが、「便が漏れそうなときに大慌てで走って帰宅したのに、なぜトイレに入る瞬間に漏らしてしまうのか」というものでした。

話のあらましは次のようなものです。

肛門には外肛門括約筋と内肛門括約筋という二つの筋肉があります。外肛門括約筋は自分で動かすことのできる筋肉であるのに対し、もう一つの内肛門括約筋は自律神経がコントロールする筋肉、つまり自分で動かせない筋肉です。

自律神経はリラックスすると緩むので、「あともうちょっとでトイレだ」と気が緩むと、内肛門括約筋も緩んでしまうのですね。こうしたメカニズムで、せっかく帰宅できたにもかかわらず、トイレに入る瞬間に漏らしてしまうわけです。

こんな話を聞きながら、「医療ってめちゃくちゃ面白いな」と思ったものです。さらに、学生の気持ちを考えてくれていると思ったんです。難しい話をどうやったら学生に面白く伝えられるか、この学校の先生はきっと考えているんじゃないかと。

10歳以上離れた同級生からのエールに奮起

――でも、まだ持病が続いていたのによく決心されましたね。

そうですね。正直、卒業後の進路まではまったく考えていませんでした。この体では柔道整復師として活動するのは無理だろうという自覚はありました。勉強したいという気持ちだけが先行していたように思います。

入学後は想像通り最高の環境でした。授業は面白いし、同級生たちとも意気投合しました。

――10歳以上、年の離れた同級生ですよね?

意外にも同級生の目は温かでしたね。当時、栄養療法の一環でナッツをよく食べていたことにちなみ、「ナッツ兄さん」と呼ばれていました。ある日ナッツを入れる適当な袋がなく、ヒートテックの袋に入れて学校に持参したことがあったのですが、「ナッツ兄さんが持っているナッツ、やっぱり温かいんすか?」とイジられましたね。

ただ、持病を克服するにはまだ至らず、授業を欠席することも多かったです。3年生の10月頃、学校から休学を持ちかけられたほどでした。しかしその時、同級生たちが「ナッツ兄さん頑張れ。ナッツ兄さんと一緒に合格しないと意味がないんだ」と励ましてくれたんです。

その気持ちに応えようと、そこから必死で猛勉強しました。国試に受かるとか落ちるとかはどうでもいいという心境でした。ただ皆の応援に応えたい一心でした。

すると、最下位に近かった成績が12月の卒業試験の段階では学年で5位になっていたんです。翌年3月の国試当日は「しばいてやる」という気持ちで臨みました。「落とせるものなら落としてみろよ」と。そして無事に合格することができたわけです。

その後、驚くことが起きました。合格後、「さぁ今からどうしようかな」と考えていたまさにその時でした。学校から突然呼び出され、「水野さんの体では接骨院で働けないでしょう。週1でキョーブン塾の講師として国試対策を教えていただけませんか」と言われたのです。予想だにしない言葉でした。

本当にありがたいお話でしたが、引き受けた以上は教壇で倒れるようなことがあってはならないと思い、断りました。すると2週間後に再び呼ばれ、今度は私を組み入れた講師陣のシフト表を見せられ、「水野先生が出勤する日には全て予備の講師を付けました。だからやりましょう。私たちは水野先生と一緒に働きたいんです」と言われました。

これを聞いてその場で号泣しました。今思い出しても目頭が熱くなるほどです。電機メーカーを持病で退職した身です。まさか僕と一緒に働きたいなんて言葉をもう一度聞けるなんて思っていませんでした。これを受けなければ男じゃないと思いました。

その後、栄養療法などの成果が実り、持病からも回復しました。キョーブン塾の講師を始めてから2年後となる39歳の時、東京柔道整復専門学校に正式に就職し、キョーブン塾の講師と東京柔道整復専門学校の教員を兼ねるようになりました。本当に幸運な人生だと思います。

勉強好きの柔道整復師を増やすために

大手電機メーカーから柔整師へ 大胆転身の理由 キョーブン塾人気講師インタビュー(下)

――最後に、水野先生ご自身の今後の目標についてお聞かせください。

今でこそ塾生から「宇宙一分かりやすい授業」と言ってもらえるようになりましたが、講師に就任して1年目の頃は本当に聴くに耐えない授業でした。にもかかわらず、塾生が根気よく僕を育ててくれました。

彼らへの恩返しのために、もうこれ以上一人の不合格者も出さないというのが目標です。

その上で、塾生を「治療や患者さんと向き合うことが楽しくて仕方がない」という気持ちにして卒業させるということがもう一つの目標です。

柔道整復師は一生勉強を続ける必要がある職業だと思います。例えば、正しい診断のおかげで食道がんの早期発見につながった事例がある一方、肉腫を見逃して幼い子供の命を救えなかったという話も耳にしたことがあります。患者さんの健康に関して、もっと言えば人生に関して1ミリも努力を惜しまない姿勢が求められます。

だからこそ、単に塾生を国試に合格させるだけでなく、勉強が楽しいと思うようになってもらいたいのです。嫌いなものを一生頑張り続けるのは不可能だと思うからです。

そのために、全員が理解できるまで教えるというのがキョーブン塾のスタイルです。もし授業中に首をひねる塾生が一人でもいたら授業を止め、その塾生がうなずくまで説明を続けます。

楽しそうに授業を聞いてくれる塾生がいると僕もやっぱり話しやすくなり、「授業が跳ねる」感覚を覚えます。僕は授業をある種の作品だと思っているのですが、「今日は最高傑作ができたな」と思う日があると、何とも言えない達成感があります。こんな授業が増えていくと、柔道整復師の現場もより良くなっていくはずだと信じています。(終わり)

水野恵介(みずの・けいすけ)
慶応義塾大学卒業後、大手電機メーカーで営業・販売促進部門を10年ほど担当。持病のため退職したのち、「健康の大切さを多くの人に伝えたい」との考えから東京柔道整復専門学校に入学。卒業後、トレーナー活動の傍ら母校で国試対策チューターを経験。2014年に入職、2015年に柔道整復専科教員免許を取得し、現在に至る。

(撮影・髙橋明宏)

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